『ねこに未来はない』(長田弘著)という本の中に、忘れられない一節がある。初めて飼った猫を亡くして打ちひしがれる若い夫婦に、心の底から猫を愛するおばさんがこんな意味のことを言うのだ。
〈いいんだよ、いいんだよ。いなくなったら、また次の猫を飼やあいいんだよ。そうして、またそれを可愛がるんだよ。それが、前の猫をなぐさめる一ばんの道なんだからね〉
小さいころ弟みたいに可愛がっていた猫が死んでしまったあと、〈弟〉に悪いのと、また失うのが怖いのとで次の猫が飼えずにいた小学生の私は、〈いいんだよ、いいんだよ……〉
そのくだりを読んだとたん、たまらなくなっておんおん泣いた。満員のバスの中だったけれど、どうしても我慢できなかった。
前回、いつか自分の書いたものが誰かの特別な記憶となれば、と書いたけれど、思えばあれこそが、私自身にとっての、「本の言葉に救われた」原体験だったのかもしれない。
楽園のしっぽ|村山由佳 (文春文庫)
↓
ねこに未来はない|長田弘 (角川文庫)
人を大切に思う心が蘇ってくるような、この恋愛小説(引用者注:
『時雨の記』のこと)を中里恒子が書いたのは六八歳の時のこと。全篇を貫いているのは、小賢しい恋の処世術から最も遠く離れた彼女の高潔なまなざしである。
誰かを恋い慕うかぎり、一人荒野で飢え渇き、土埃をかぶるような時もありましょう。そんな時は一杯の清水であるこの本をゴクゴクと読んでいただきたい。そうして英気を養ったら、再びそれぞれの恋の現場に戻り、精一杯健闘していただきたいと思うのである。
私の家には常時四冊の
『時雨の記』が置いてある。一冊は、友人が古本屋で見つけてきてくれた青山二郎装幀のハードカバー。残り三冊は文庫本で、一冊は湿気てぷくっとふくらんだお風呂用、一冊は旅行用、一冊はいつでも人にさしあげられるような新品である。
誰かが恋でクタッとめげている時、私は親戚のおばさんのようにこの本を差し出して、ぎゅっとその手に握らせてしまう。恋といったら
『時雨の記』、この中には人が人を愛した時に湧いてくる美しい気持ちや、心がふるふるするような出来事がいっぱい詰まっているのだ。
この「みのり伝説」は、多くのアイデア、エピソードを、フリーライター藤田千恵子のエッセイ集
「愛は下剋上」(NTT出版刊)から引用して描いています。
このさわやかなエッセイ集は、仕事のこと、恋愛のこと、両親のことなど、若い女性が抱える様々な問題を独自の感性で、ユーモラスに、知的に描いており、一読して私は魅了されました。
「魅力もあるけれど、欠点もいっぱいある等身大の、普通の女性を描きたい。」と思っていた私は、エッセイをヒントにしてドラマを構築するというきわめて困難な、しかしとても楽しい創作にのめりこんでしまいました。
描き進めていくうちに私は、昔から言われている余りにも当然のことにあらためて気づかされました。それは「欠点も魅力のうち」ということです。おそらく
「愛は下剋上」を読んで創作意欲に駆られたのは、そのあたりにあった気がします。
肩からかけているバッグのサイドポケットには、文庫本が1冊はさまっていた。
そっと伸び上がって背表紙をのぞきこむと、それはハインラインの
『夏への扉』だった。
二、三年前に読んだそれが、とても気持ちのいい小説だったことを思い出して、
僕の口もとは思わずゆるんだ。
私が興奮したのは、山岳小説の新しい書き手が登場したのかもしれないという予感にとらわれたからである。新田次郎の『孤高の人』だったか他の作品だったかもう記憶も定かでないが、いや思い出した。『栄光の岩壁』だ。その中に、雪壁にとりついた主人公が足もとを確保するためにがつんがつんと靴の先で雪壁を蹴るくだりで、傷口が破れて爪先から血が吹き出るシーンがあった。その瞬間、私の足もまた生暖かいものに包まれたような気がして、あんな経験は小説を読んで初めてだったが、それ以来、山岳小説の熱狂的中毒者になったという事情がある。
(解説 北上次郎より引用)